●『ダ・ヴィンチ・コード』に思うこと



『ダ・ヴィンチ・コード』(ダン・ブラウン著)という小説が全世界で4500万部以上も売れ、日本でもベストセラーになりました。映画化されて日本でも公開されました。同書で「最後の晩餐」に描かれているイエスの左隣の人物が使徒ヨハネではなく(!)マクダラのマリアだと主張されていると知ったときには驚きました。この説だと最後の晩餐には十一人の弟子しかいなかったことになってしまいますが、そういった疑問も感じさせないほど、魅力的なストーリー展開がなされているのでしょう。

しかし、マグダラのマリアがイエスと結婚して子供をもうけたという主張がこの本の根底にあるため、海外では一部の信徒団体や司教たちが批判の声をあげているそうです。また、ダン・ブラウンが実在するカトリックの団体(オプス・デイ)を殺人集団として描いている無神経さにも抗議がなされたようです。

 インターネットで同書について調べてみると、「キリスト教の根底を揺るがす」という衝撃的なキャッチコピーとともに、多くの人々のレビューを目にすることができました。
 「キリスト教徒に都合の悪いことが書かれているのでバチカンの高官が激怒した」、「知らされていない聖書の裏の真実が明らかにされてしまったので、キリスト教徒には受け入れられないだろう」等々。「ダン・ブラウンは小説の形で真実を書いた」とか、「知的興奮を覚えた」とさえ言う人もいました。「信者である母が『どうも“ダ・ヴィンチ・コード”で言われていることは本当らしい』と落ち込んでしまった」という書き込みもありました。
 もっとも興味深かったのは、かつてミッションスクールや教会学校で聖書を学んだ人々がこの小説を読んで「事実」を知り、衝撃を受けたと語っていることでした。こうなると「たかが小説」とも言えなくなります。

 一体どれほどのものなのかと、ざっとキリスト教に言及している部分を見てみました。特に上巻の末尾あたり。驚くようなことが書いてあります。ダン・ブラウンが「ティービング」という人物に聖書についてのうんちくを語らせる場面。字句通りではありませんが、いくつか根本的な誤りがある部分を挙げてみましょう。

「いま福音書は四つとされているが、実は八十を超える福音書があり、コンスタンティヌスが開いたニケア公会議で、潤色された四つの福音書が選ばれた」。

「ニケア公会議が開かれる時点までイエスは人間としか考えられていなかったのに、会議の投票によって神と決められてしまった」。

「コンスタンティヌスは、自分に都合の悪いイエスに関する文書を隠匿したが、それが二十世紀になって発見された死海文書やナグ・ハマディ文書であって、バチカンはそれらが公開されないように研究者に圧力をかけた」。

「コンスタンティヌスは資金を提供して新しい聖書を編纂するように命じ、人間イエスを描いた福音書を排除した」。

このような事実誤認が平然と書かれています。「キリスト教はミトラス教などの異教の影響を受けている」といったおなじみの(?)批判も新事実であるかのように記されていました。

「面白ければいい。あくまでもこれはミステリー小説だ」ということで『ダ・ヴィンチ・コード』を楽しく読まれた方がいることはけっこうなことですし、そのこと自体をどうこう言うつもりはありません。ただ、SF小説にはある程度の科学知識が前提となっていてほしいですし、歴史小説には時代考証をしっかりとしてほしいと思うのと同じように、キリスト教が小説で取り上げられる場合にも、ある程度の知的誠実さがあってほしいと思います。

しかしながら『ダ・ヴィンチ・コード』のキリスト教理解の不正確さは信じられないほどで、ある書評にも「物語の展開より、間違いの多さに息つく暇もない」と書かれていました。もし、キリスト教について一定レベルの知識が広まっていたら、読み手が冷めてしまって、これほどヒットしなかったのではないでしょうか。キリスト教国と言われる国々でもベストセラーになった一因は、現実として、もはや欧米でさえもキリスト教的教養が浸透していないからだといえるでしょう。

『ダ・ヴィンチ・コード』の聖書に関する否定的な言及の真偽は、多少専門的な解説書を調べるだけで明らかになることばかりです(注)コンスタンティヌス帝はイエスに関する文書を隠していませんし、当然、「人間イエスを描いた古い福音書を焼き捨てて、イエスを神格化させた新しい聖書を編纂した」などという事実は存在しません。福音書がマタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの四つであることは、4世紀のコンスタンティヌス帝の時に決められたのではなく、確認できる最古の証言としては2世紀のエイレナイオスによって主張されていることです。ダン・ブラウンは、「イエスの生涯を記した数千に及ぶ文書」や「人間イエスを描いた古い福音書」が存在すると書いていますが、それは彼の想像の産物でしかありません。さらに、ニカイア公会議(325年)では正典問題は議論されていません。「ニカイア公会議で正典が決まった」というのは事実誤認です。正典問題が教会会議で議論されるのは少し後になってからです(ローマ〔382年〕やピッポ〔393年〕、カルタゴ〔397年〕などの地方教会会議で正典についての確認がなされ、それが全教会的に追認されていきました)。

「死海文書」(1947年に発見された1世紀頃のユダヤ教の文書)や「ナグ・ハマディ文書」(2〜5世紀に書かれたグノーシス主義者の文書。1945年に発見。ヘレニズムの金言集やプラトンの『国家』の断片もあった)は、発見当時から多くの話題を提供しましたが、キリスト教の教えを覆すようなものではありませんでした。死海文書の中にはキリスト教に関連する文書は存在しておらず、その多くが旧約聖書や注解書、教団規則等の文書であって、「人間イエスを描いた文書」などは見つかっていません。
 「ナグ・ハマディ文書」などのグノーシス主義者の文書は、霊は善で肉体は悪だとする二元論の立場をとっているため、イエスの人間性(人性)を否定する傾向にありました。つまり、ダン・ブラウンの主張とは正反対の内容になっています。
 もちろん、事実としてバチカンはそれらの公開に圧力を掛けてはいません。一部の「トンデモ本」でそのような主張が流されましたが、センセーショナルな出来事は何もなかったのでした。「バチカンは死海文書の公開に圧力をかけた」は、UFO信者が言う「
NASAは宇宙人の死体を隠している」と同レベルの主張です。

また、イエスは、福音書の中では人間としても描かれていますが、同時にヨハネ福音書(90年頃)やパウロ書簡(50年代)に見られるように、「神」とも呼ばれています(ヨハネ20:28、ロマ9・5ほか)。この流れは次世代の「使徒教父文書」の中にも受け継がれますが、ダン・ブラウンの主張とは異なり、コンスタンティヌス帝以前にすでにイエスの神性は強く信じられていたのです。彼が言うように、国をまとめ上げるためにイエスを神にした、というのは歴史の事実にそぐわないことです。しかもニカイア公会議では、「イエスは神か、人か」を議論したわけではなく、キリスト論に関しては、おもにロゴス(人間となる前のイエス)が造られたものなのか、また、イエスの神性は父なる神と同一本質であるのか否か、というものでした(アレイオス論争)。会議も「かなりの接戦」(「ティービング」いわく)だったのではなく、320人とも言われる参加者の中で、最終的に反対したのは2人だけでした。
 
 ちなみに、イエスとマグダラのマリアが結婚して子孫を残したことの根拠とされている『ピリポ福音書』や『マグダラのマリアの福音書』はいわゆる「偽典」であり、福音書よりもかなり後の時代に書かれたものであって(成立年代は2〜3世紀以降)、そこから史実を導き出すのはかなり無茶苦茶な作業だと言わざるをえません(最近注目されている『ユダの福音書』についても同じです)。当然、新約聖書にはイエスが結婚したことを暗示させる箇所は一節もありません。むしろイエスは独身生活を賞賛しています(マタイ19:9〜12)。


 だいぶ前になりますが、『死海文書の謎』(柏書房)という本が世界中で話題になりました。日本でも新聞各紙がこぞって書評を載せ、評論家たちも概ね好意的に同書を紹介していました。しかしその後、死海写本についてのまともな出版物が多くなり、今となっては『死海文書の謎』の内容をそのまま信じるような人は少なくなりました。同様の現象は『イエスのミステリー』(NHK出版)の場合にも言えることですが、しばらくすれば間違いなくこの『ダ・ヴィンチ・コード』も、キリスト教に対する無知が一般に知られ、ふさわしい位置づけがなされるでしょう。
 しかしながら、現時点(2006年5月)では、英国の調査会社の報告のように、同書を読んだ60%の人がイエスの子孫が生き残っている可能性を信じており、36%の人がカトリック教会がキリストについての真実を隠していると思っているそうです。また、オプス・デイについて殺人を起こす集団だと思う人は読まなかった人に比べて4倍になったとのことです。

 『ダ・ヴィンチ・コード』のように(意図的かどうかは分かりませんが)イエスや教会に対する誤解を流布する出版物は今後も数多く出てくることでしょう。しかし、そういった思いつきのような説が通用しないような世の中になればと思います。この世界が「主を知る知識で満たされる」(イザヤ11:9)ことを願わずにはいられません。(N)

追記ドン・ボスコ社発行の月刊誌『カトリック生活』(6月号)で、フランシスコ会の教父学者・小高毅師がこの問題を取り上げてくださっています。また、同社から『「ダ・ヴィンチ・コード」の真相−85のQ&A』(B6・120頁・500円)が6月13日、発売されました。採算を無視した低価格です。関心のある方は、参考にしてください。

(注)上記の内容は、講義録・プリントのほか、おもに以下の文献によりました。

『新聖書大辞典』(キリスト新聞社)
『岩波キリスト教辞典』(岩波書店)
デンツィンガー他『カトリック教会文書資料集』(エンデルレ書店)
蛭沼寿雄『新約正典のプロセス』(山本書店)
田川建三『書物としての新約聖書』(剄草書房)
W・ラベル『新約外典・使徒教父文書概説』(教文館)

F・イェディン『公会議史』(南窓社
J・P・ラベル編『公会議』(ドンボスコ社)
南山大学監修『歴史に輝く教会』(中央出版社)
H・I・マルー『キリスト教史2』(平凡社)
E・M・クック『死海写本の謎を解く』(教文館)
J・C・ヴァンダーカム
『死海文書のすべて』(青土社)
R・ハイリゲンタール『誤解されたイエス』(教文館)


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