●『あなたに話したい』出版におもう


 2005年夏、晴佐久昌英師(カトリック高円寺教会主任司祭)の説教集『あなたに話したい』を出版しました。以来、反響の大きさに驚いています。「説教集」という性格から、信徒や求道者の方々に読者が多いのですが、神学者の司祭からも高く評価されました。最近でも二人の聖書学者の司祭から、同書についての賛辞をいただいたばかりです。

2004年4月の「カトリック新聞」で、高円寺教会の出来事が紹介されていました。同教会ではイースターに受洗した人が84人もいたそうです。それだけでも驚きですが、晴佐久師ははっきりと「ミサを本気で信じて人々を洗礼に招きましょう」と言われ、洗礼を受けることの大切さを語っていたと、その記事にありました。

誤解かもしれませんが、日本の教会には受洗者の数にふれることはタブーのような雰囲気がありました。受洗者を増やす努力を「植民地的宣教」だと揶揄した文章に出くわしたこともありますし、「日本宣教泥沼論」のような説を目にすることが少なくなかったので、晴佐久師の言葉は大きな希望を与えてくれるものでした。

同師のお名前は『だいじょうぶだよ』や『星言葉』などの著作で知っていましたが、説教をじっくりと拝見したのは教会で配布されていたプリントが初めてで、その内容に心を奪われました。「これはすごい!」と。

 以前私はキリスト教の業界紙の記者をしていたことがあります。そのときカトリックの自分が特に精力的に取材したものの中に「説教」がありました。プロテスタント教会の礼拝や講演会に出席した時、はじめて牧師先生の説教を聞き、感動しました。宗教改革以来、プロテスタント教会が大事にし続けてきた宝の輝きは見事でした。み言葉の説き明かしを聞くことは本当に恵まれる体験で、それからは「説教塾」「説教セミナー」などをはじめ、伝道集会など、「説教」なり「メッセージ」が語られる催しには、時間の許すかぎり参加したものでした。

そこで感じたのは、同じプロテスタントでも、改革派教会には改革派ならではの色があり、カリスマ派はカリスマ派の、ホーリネス系ならホーリネス系の、それぞれの特徴が説教にあるということでした。それはメッセージの神学的な傾向だけではなく、その教派の霊性を表しているかのように思えました。

それではカトリック教会はどうなのでしょうか。「カトリック的な説教」とは何かと自問してみました。もちろん、自分は司祭ではないのでどうなるというものでもありませんが、せめてどういうイメージをもって説教を聞いているのかを考えてみたわけです。

晴佐久師の説教を読み、また実際に聞き、これこそカトリック的な説教だと思いました。これまでも名だたる牧師先生の説教を聞いてきましたが、それらのどれとも似てなく、しかしながら、福音的感動を与えてくれる説教でした。とくに、秘跡の意義を見事に伝えてくれているという点で、「ザ・カトリック」といえる説教でした。かつて故岩下壮一師が言われた「キリストの十字架が最大の秘跡である以上、キリスト教は秘跡教でなければならない」という言葉を思い出しました。

ぜひ、この感動を多くの人々とともに分かち合いたい、書籍という形で世に問いたいと思い、高円寺教会に晴佐久神父様をお訪ねし、このたびの出版に至ったわけです。単行本にするための編集段階で何度も原稿を読むわけですが、読むたびに感動がありました。それは「霊の動き」としか形容できないものでした。

説教集を読んだプロテスタントの友人が「自分たちの感覚で言えば、説教というより牧会的な言葉」(牧会=司牧)だと感想を伝えてくれました。共同体への慰めの言葉が語られ、み言葉によって教会が癒しの共同体、宣教の共同体へと成長していくプロセスがうまく描かれています。そういったストーリー性も本書の大きな魅力だといえるでしょう。

 誰も自分で自分に福音を語ることはできません。しかし、語られた福音で生かされつつ、自分に起こった現実を証言することはできます。この説教集を読まれた方の体験の輪がさらに広がっていくことを願っています。(N)


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