| 『イエスとその福音』書評 |
本書によって、イエス・キリストを説明する際の適切な道筋が鮮やかに示された
イエスと私たち。二千年前に、イエスは、あらゆる人々と共に生きぬいた。そして、今も。しかし、ともすると、私たちはイエスを見失ってしまう。なぜなら、たいていの場合、単にイエスの客観的なデータだけを研究しているにすぎないからだ。一方、自分にとって都合のよい主観的なイメージでイエス像を勝手に描き出してしまう危険性も常につきまとう。だからこそ、「真実のイエスとの生きた出会い」が、現在の私たちにとって、最も大切なのではなかろうか。
「複雑化する学問界」と「素朴な信心に明け暮れる生活現場」の間で絶えず引き裂かれて途方に暮れるキリスト者。そして、イエスを、どのように理解すればよいのか曖昧なまま困惑する一般人。様々な人々がイエスとの出会いを求めながらも、適切な導きのないまま過ごしている。
しかし、もう安心してもよい。なぜなら、本書によって、イエス・キリストを説明する際の適切な道筋が鮮やかに示されたのだから。イエスと私たちの間の距離感は埋まりつつある。
最先端の神学と聖書学の研究を積み上げ、忍耐強く学生の教育に携わり、社会に生きるあらゆる世代の人々に対して平易な言葉で語りかける岩島師の純朴で気さくなまごころが、臨場感あふれるいのちの呼びかけとして読者の心をつつみこむ。
表題からもわかるとおり、本書は聖書のメッセージに基づいて正確で忠実なイエス像を明らかにしてくれている。岩島師は、ストイックなまでに、ひたすら「真のイエスに肉薄する」(453頁)。
「神の無限の恵みと赦し」。それらを徹底的に実現したイエス。そのイエスの生き方から決定的な影響を受けて信仰告白した弟子たち。そして、弟子たちの熱意ある活動を引き継ぐ私たち。教会共同体が現在も伝える「神の無限の恵みと赦し」。このポイントを最も明らかに生きたイエスが救い主(キリスト)であるという信仰は、いくど挫折しても、弱い時にこそ神の恵みが働いて赦しが実現することを体験した弟子たちによって深められたことも見えてくる。まさに、本書を読むと、キリスト者として生きることの意味が次第にわかってくる。
神の無限の恵みと赦しそのものであるイエスの生涯に気づいて信頼すること。――これこそ、信仰のまなざしでイエスを理解することであり、今後の神学研究の方向性であると同時に信仰生活の出発点でもあるだろう。入門書としても読みやすく、専門的な研究書としても価値のある画期的なキリスト論。
(『福音宣教』8・9月号)
イエス研究の新時代の到来−−信仰のまなざしでイエスの存在意義を理解しながら歴史的にも正確に説明した好著
本書をもって史的イエス研究の「第四探求」の時代が開幕したと言えるだろう。それでは、どうして本書を「第四探求」の幕開けの先駆的業績と呼ぶのだろうか。答えは簡単である。つまり、史的イエスの「第一探求(1778−1906:イエス伝研究の時代)」、「第二探求(1953−1970:様式史研究から非神話化へ/1970−1980:社会学・社会史的研究)」、「第三探求(1980−:方法論的多元主義)」には見られない際立った特徴が見受けられ、新たな研究の展望を拓くものだからだ。岩島師が切り開いた新境地は、真のイエスに信頼して深く出会おうとする研究姿勢である。つまり、信仰のまなざしでイエスの存在意義を理解しながらも歴史的にも正確に説明しようとしている。このような視点は、今日の史的イエス研究の方法論的限界を乗り越える新しさを備えている。
イエスの情報を科学的に理解する試みが積み重なるばかりで相対主義に陥り複雑な様相を呈する神学界では、いったい何が真実であるかが、ますますわからなくなり、私たちとイエスとの距離は埋めがたいものとなっている。しかし、本書は「真のイエスに肉薄する」(453頁)。その姿勢は著者の属するイエズス会の創設者イグナチオ・デ・ロヨラの『霊操』の黙想法によって醸成されている。
ところで、わが国では、学問用語と日常生活用語が乖離している。両者を調和させることは至難の技だろう。しかし、不可能なことを実現しているのが本書の語り口である。聖書学の諸研究に基づいた綿密な読みと社会生活の具体的な問題意識とが見事に結びついている。なめらかで、ざっくばらんな日常生活用語でイエス・キリストに関する神学的説明が語りだされている。自然体なのだ。この事実は、驚嘆すべきことであり、日本における神学表現の快挙である。
本書は、まず聖書の歴史的意義を説明してから、次にイエスの登場と活躍を検討し、さらにイエスの弟子たちによる信仰共同体の深まりにまで解説を加えている。いわゆる神とイスラエル民族との関わりの深みの中からイエスが登場し、その深みを万人に向けて開き及ぼした歓びを読者にも追体験させてくれる。著者の描写によって、歴史的な出来事と信仰の深まりが緊密に結びつく。
弟子たちの証しによってイエスの生き方が伝えられ、それが書き留められ集成されたときに新約聖書が成立した。弟子たちの現実的なイエス体験は、次第にイエスへの信頼に満ちた表現として信仰のまなざしで解釈されるようになった。「神の無限の恵みと赦し」そのものがイエスである。だから神とイエスとは切り離すことができないひとつながりの救いの現実である。イエスにおいては、神性と人間性とが調和しているのである。神と人間との関わりの回復の体現。
聖書の記述を忠実に検討することでイエスの活躍背景を順次眺めていく手法は、ストイックなものだが、それが岩島師の研究姿勢の長所でもあり、最も重要な事柄のみに専心しようと努力を積み重ねてやまない誠実さの表れでもある。
阿部仲麻呂(日本カトリック神学会評議員、東京カトリック神学院講師、サレジオ会司祭)
(「キリスト新聞」掲載予定)