| 『教界人物地図』立ち読み |
あとがき
九五年末だったか、「キリスト新聞」の五十嵐義信編集長から「積年の人国記をお願いしたい」という話があった。ぼくは戒能信生、郡山千里、新堀邦司の各氏に集まってもらい、いろいろ助言を受けた。太田愛人、高堂要氏からも同様。……実にたくさんの人たちに応援してもらった。感謝のほかない。
「積年の人国記」というのは、四十年も前からぼくは「たとえば、比屋根安定、木村知己、ぼくと三人箱根にでもこもり、『キリスト教人国記』の座談会をしないか」とキリスト新聞と教団出版局に話を持ち込んだが「そんな予算はない」と断られたことを指す。それがキリスト新聞創刊五十周年企画で形を変えて復活したことになる。
牧師の息子で牧師というのは、ぼくを含めてかなり多くいるが、今回は直接その取材はしなかった。しかしもれている人がかなりいるし、中には牧師の子だということを顕わにしたくないと言っている人もいる。悲しい話だがこの現実と直面しなくてはならない。
昨年七月、阿蘇敏文氏から電話があった。「第二次大戦下の日本の教会と牧師の動向について、ルポがほしいのだが力を貸してほしい」ということだった。ちょうどその頃、「教界人物地図をまとめてはどうか」という話を教友社を立ち上げた阿部川氏から貰っていたこともあって断ったのだが、「大切なテーマだが、ホントの話を皆するかどうかむずかしい。日本の教界は、右も左も形式的なことが多すぎる」とつけ加えたことだった。
「牧師の子供たち」はキリスト新聞に敬意を表して最後は賀川純基氏に決めていた。「アジアとかかわった人々」は、はじめは表を作って、できるだけ多くの人と考えていたのだが、断られる人が多く、マンネリズムになって終わりどころを探していた。おまけに体調が悪くなり、入退院をくり返すことになった。……
松岡裕子氏の取材ずみだったが、失礼を許して貰い、東海林勤、福井達雨、松井やよりの三氏に、トリは荒川純太郎氏という心づもりだったが、幻となった。福井は同志社神学部の同級生。松井は平山姓のときからの知り合い。一昨年召されたゆえか、ほめすぎのきらいなしとしない。荒川は西原由記子氏の弟。昔サラワクにいたとき訪ねたことがある。
そんなわけで、最初から本にするつもりで準備をしたりせず、写真もあとで集めたということもあって、必ずしも意に添わないところもあるが、おゆるしをいただきたい。九六年四月から〇二年三月までの連載だが、できるだけ本人の目を通して訂正加筆をいただいた。いま読み返してみて『教界人物地図』と銘打つには不揃いな点が目立つが、以上のようないきさつゆえ、ご了解いただけると思う。
カバーのイラストは、いまペンシルベニアにいる長野祥三画伯に頼んだ。亡き父伊藤昌義につながる友人。「基督教保育」のイラストで知っている人もあろうか。
二〇〇四年一月二七日
伊藤
義清